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再起…、易桀齊。

易桀齊Yi Jet Qi『Let It Rain』(2012)

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名のある1人の男性アーティストが、文字通り裸一貫となって再起への第一歩を踏み出しました。マレーシア出身の実力派シンガーソングライター・易桀齊(イージエチー)です。

2月3日、易桀齊は前作『你好嗎!』から11ヶ月ぶりとなる新作、『Let It Rain』(禾廣娛樂)をリリースしました。新作といっても新曲『Let It Rain』1曲のみを収録したCDシングル(12cm)です。五大唱片での販売価格は98ニュー台湾ドル。日本円で約245円。送料よりも安い。このような形でのリリースとなってしまったのには、彼自身が昨年起こした不祥事による複雑な事由がありました。これは彼が再起を期して心情を吐露した曲です。その1曲のみを収録したCDをここで出していいものか迷いましたが、ぜひ聴いてほしかったので…。

 

易桀齊、『Let It Rain』。

 

1974年生まれ。マレーシア出身。アルバムデビューは2001年ですが、それ以前から現在に至るまで、ペンネーム・易齊での作品も含め、膨大な数の楽曲を華人有名アーティストに提供しています。例えば昨年は、那英Na Yingの9年ぶりのアルバム『那又怎樣…』に『花一開滿就相愛』を、郭靜Claire Kuo『陪著我的時候想著她』に『往未來飛的客機』を、楊丞琳Rainie Yang『仰望』に『曬焦的一雙耳朵』を、品冠Victor Wong『未拆的禮物』に『我確定』を…といった具合。

それ以前に彼が関わっていた主なものを列挙していくと…
張學友『玩不起』(99年)、『好久不見』(07年)、伊能靜『你是我的幸福嗎?』(01年)、周華健『好想哭』(03年)、劉若英『I Believe』(01年)、『幸福的路』(04年)、『熊』(08年)、張惠妹『過不去』(04年)、『知己』(07年)、許茹芸『痞子』(99年)、動力火車『陌生的夜』(99年)、辛曉琪『一個人甜蜜』(00年)、陳曉東『Good-bye』(98年)、張玉華『隨便你』(02年)、郭靜『慢慢紀念』(08年)、蔡依林『我的依賴』(09年)、張棟樑『不要再聽他寫的歌了』(09年)、張智成『可愛可不愛』(09年)、ほか多数…。とくに同郷である梁靜茹Fish Leongへの提供が多くて、『半個月亮』(00年)、『如果有一天』(00年)、『我還記得』(05年)、『因為還是會』(05年)、『C'est La Vie』(07年)、そして2009年リリース『靜茹&情歌』収録の名曲『別再為他流淚』も易桀齊の作曲によるものです。

個人作品としては、1stアルバム『戀戀不捨』(01年)、1st EP『千里之外』(03年)、2ndアルバム『一整片天空』(06年)、3rdアルバム『有你真好』(08年)、2nd EP『"G"拉闊音樂會』(10年)、そして新歌+セルフカバー集の4thアルバム『你好嗎!』を昨年3月にリリースしています。

このように多くのアーティストに愛され才能もある彼が、昨年2月、過ちを犯してしまったのです。

 

2011年2月17日、易桀齊と同じくマレーシア出身の女性シンガーソングライター・戴佩妮Penny Taiの預金口座から30万元(約75万円)が盗まれていることがわかりました。調べたところATMから10万元ずつ、2月11日を最初に3日連続で引き出されていたようです。監視カメラに写った犯人と思しき帽子とマスク姿の男の映像がネット上で公開され、戴佩妮は犯人が捕まることを願っていたのですが、直後衝撃が走ります。

2月20日の真夜中、一緒にライブを行なうなど互いを兄と妹のように思い信頼し合っていたはずの易桀齊が戴佩妮のもとを訪れ、自らが犯した罪を告白したのです。2人は抱き合って泣いたそうです。そして大雨が降る中、戴佩妮は彼の手を引いて、1本の傘で支え合うようにして、歩いて10分ほどの所にある警察署へ自首に向かったそうです。

 

2月22日、易桀齊はYouTube自首声明映像を公開しました。正直に罪を認め、戴佩妮と全ての音楽ファン、関係者に謝罪しました。そして戴佩妮は彼を許し、全面的に支えることを表明します。台湾メディアは大騒ぎとなり、アーティスト仲間からも戸惑いの声が出ました。しかもちょうどこの日が易桀齊の3年ぶりとなる新作『你好嗎!』のリリース予定日だったため、YouTube上には戴佩妮共々宣伝効果を狙ったリスキーな戦略だったのではないか、といったネガティブな意見もたくさん書き込まれました。

でもたかが宣伝のために今までのキャリアを無にするほどの愚かな行為を、あのガンコなまでに自分を貫く戴佩妮が許すはずないじゃないですか!

翌23日、戴佩妮はCanonのイメージガールイベントに出席するためマレーシアに帰国しますが、写真で見る彼女はただでさえ華奢なのにさらにげっそりとやつれ、大きな目は泣き腫らしたためかひと回り小さく見えました。濃い化粧をしていても、その憂いと悲しみを隠すことは出来ませんでした。そして首から下げた、誕生日に男友達から貰ったという佛牌(仏様を象ったペンダント)を幾度も撫でていたそうです。

 

全てを認め、盗んだお金も返した易桀齊への刑罰は120時間の社会奉仕活動で済みました。発売がストップしていた新作『你好嗎!』も、アーティスト仲間の助力で3月3日にリリースすることが出来ました。

そもそも彼がなぜこのような愚かな行為をするに至ったのか。
それは彼自身の深刻な経済状態にあったようです。上に主な提供楽曲を挙げましたが、2010年がごっそり抜けています。EPを1枚出してはいますが、これも2曲入りのものでした。台湾の平均月収は日本円で約7万5000円だそうですが、易桀齊はそのころの月収が8000元(今のレートで約2万円)ほどだったことを明かしています。他人に心配を掛けまいとするあまりデリケートな神経を持つ彼は追い詰められ、誤った行動に走ってしまったのでした。

 

彼の心の繊細さはその容姿や物腰、曲、詞からも感じ取れます。
自分を可愛がってくれた父親を早くに亡くし複雑な環境に育った易桀齊は、少々自閉的でした。成長後それが邪悪さに変わったと自身では語っています。同時に繊細さはさらに増した、とも。

しかし彼の師である名プロデューサー・李宗盛Jonathan Leeは、彼を『人工添加物が少ない人間』と評しています。つまり、誠実、素朴、温厚な人柄が心地良いソングライターだと。必ず良い作品が生まれる、そう確信している…と語っています。

 

1999年、まだアマチュアだった易桀齊は、当時梁静茹をプロデュースしていたヒットメーカー・李宗盛に出会い見出されました。歌は未熟でしたが、その声と楽曲に可能性を感じた李宗盛は、歌手になりたいなら自分のところに来い、と彼を誘います。易桀齊は李宗盛の下でスタジオ助手をしながら、梁靜茹、動力火車、許茹芸、張惠妹らに楽曲提供するなど練磨を重ね、2001年にスタジオ第1号新人としてデビューをしました。

その後5年間、易桀齊はマレーシア、シンガポール台北、北京を旅しています。暖かさや優しさと共に漂うリリカルな孤独感は、そうした旅の中で曲を書き綴るうち刻まれた感性だったのかもしれません。たくさんの楽曲を提供し仲間を得たように見えても、まだどこかに複雑な孤独を抱えていたのでしょうか…。彼は『お金を貸してほしい』という、ただそのひと言が言えなかったと後悔しています。そして彼と同郷である戴佩妮と梁靜茹も、友人として彼の苦しい状況と心に気づいてあげられなかったことを悔やんでいると…。

昨年、彼女の新作『回家路上』をピックアップしたとき、その変わり様に驚いたのですが、まさかこんな重い出来事があった後の作品だったとは思ってもいませんでした。

 

2011年、彼の現状を知った幾人かのアーティストが、彼が謹慎中に書いた曲をアルバムに採用しました。そして今年、易桀齊は贖罪を込めてマイナスからのスタートを切ります。昨年戴佩妮が原点回帰の新たなスタートをしたように。

このシングル『Let It Rain』のジャケット写真、戴佩妮が撮影しています。また、上の写真では横顔部分しか出ていませんが、彼は全裸です。2月12日、西門紅樓展演館で復帰ライブが行なわれました。タイトルは『裸。唱會』。全てをさらけ出しての再起です。

 

『Let It Rain』のMV、彼が自分のiPhoneを使って撮影したものです。震える画面が、吐露された彼の心情を訴えているようで…胸を打ちます。僕はもう注文しました。