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四川省出身の情感歌后、郁可唯。

郁可唯Yisa Yu『微加幸福』(2011)

Yisa-yu2011

 

郁可唯(ユイカーウエイ)。中国四川省成都出身。英語名はYisa Yu。生年は、ここでは伏せておきましょう^^。それぞれの曲が持つイメージを女優が如く見事に歌い分ける、ズバ抜けた歌唱力が魅力の実力派女性シンガーです。

2010年11月、メジャーレーベル・滾石唱片Rock Recordから1stアルバム『藍短褲』で台湾デビュー[*1]。本作『微加幸福』は2011年9月にリリースされた彼女の2ndアルバムです。林夕、宇珩、張洪量、王雅君、陳子鴻ほか多数の強力クリエイター陣に加え、伍佰先生も楽曲提供で参加。現在日本でも放映中、今月いよいよ最終回を迎える台湾の大ヒットドラマ『犀利人妻』(邦題:結婚って、幸せですか)の挿入歌となった林凡Freya Limとのデュエット曲『聽你説』も収録されています[*2]。現在まで2つのバージョン【微笑幸福慶功版】と【小資女孩練愛幸福版】[*3]が追加リリースされていて、この2つはボーナストラック『茶湯』と『唯加幸福』(メドレー)を加えた全13曲入りとなっています。

 

首波主打、『傷不起』。作詞は林夕、作曲は饒善強。

 

『情感歌后』、それが彼女に与えられた冠です。

聴く者をその歌の世界に引きずり込む強烈な吸引力は、デビュー作『藍短褲』から既にそうでした。郁可唯は大陸のオーディション番組で発掘された原石でしたが、台湾メジャー・滾石唱片の社長・段鐘潭は、自らそのデビュー作のプロデュースを買って出るほど彼女の才能に惚れ込んでいました。彼女はそのアルバムの中で、藍短褲(青いショートパンツ)を履いていた子供が成長し巣立ってゆく姿を見事に演じきっています。本作『微加幸福』でも、そのストーリーを明確に引き継ぐものではありませんが、より大人になった情感溢れるバラードを聴かせてくれています。

 

郁可唯は中国四川省成都出身、成都飛機工業集團公司で働く両親のもとに生まれました。子供の頃から歌うことが好きで、大小問わずたくさんのコンテストに出場していました。ただ、他の多くの出場者たちと違って、彼女はそれまで専門的な音楽のトレーニングは受けてはいなかったようです。頭角を現し始めるのは大学在学中だった2004年。ケーブルTV局が主催した全国大学生歌唱コンテストで、彼女と同郷の出場者・李宇春Chris Leeを破り金賞を受賞。そして2005年、大陸最大の女性歌手選抜オーディション番組『超級女声』出場を目指します。

超級女声』は現在数多く行なわれている巨大オーディション番組の元祖とも言える番組で、大陸の各地区ごとに選出された優秀者の中から最終的に全国No.1を決定する、女性のみを対象としたアマチュア歌手オーディションです。郁可唯は2005年大会の本選を目指して成都地区予選に出場しましたが敢え無く落選。その年の成都代表に選ばれたのは、前年に大学生歌唱コンテストで彼女に敗れた李宇春でした[*4]。郁可唯は翌2006年に再度チャレンジ、広州地区予選まで進んだのですが、またしても落選…。大学卒業後に就職していた不動産会社も音楽の道に専念するために辞めてしまい、その後しばらくはバンドのボーカルとしてパブで歌うなどしながら生計を立てていたようです。

 

2ndバージョン【微笑幸福慶功版】から、ボーナストラック『茶湯』。ほんわかと暖かい。

 

転機が訪れたのは2008年。郁可唯は南京のTV局・江蘇衛視のオーディション番組『絶対唱響』に出場し全国30強に残ったことで、華人アーティストのヒット曲をカバーした2枚のアルバム『百樂門』と『茴香小酒館』を出す機会を得ます。もっともこの2枚は本名の『郁英霞』名義で出した、ほぼ無名の作品集ではありましたが…。

郁可唯の名で登場するのは翌2009年。彼女は『超級女声』を引き継ぐ形で新たに始まったオーディション番組『快楽女声』に出場し地区予選を突破。最終的に全国10強に残り4位入賞を果たします。微妙な位置ではありましたが、見ている人は見ているのですね。彼女の才能をいち早く買って出たのは大陸のレーベルではなく、台湾・滾石唱片でした。彼らが見抜いたとおり、華人トップクリエイターらのバックアップのもと誕生したデビューアルバム『藍短褲』は、収録曲がドラマ『犀利人妻』(邦題:結婚って、幸せですか)の挿入歌に採用されるなど大ヒット。郁可唯は第22屆金曲獎最佳新人獎の候補に選ばれたのですが、ここでちょっと信じられないようなトラブルが発生してしまうのですね。

 

第2弾シングル、アルバムタイトル曲『微加幸福』。

 

郁可唯は2008年に本名で出した2作品の他に、あと1枚分のカバー曲を録音していました。本来であれば『郁英霞』の作品として出すべきだったのですが、彼女が『快楽女声』で知名度を上げたからでしょうか、2009年9月、大陸のレーベルがこともあろうに『郁音绕梁』というアルバムを『郁可唯』名義で出してしまったのです。金曲獎は前年に発表された作品が対象となるので、この規定に当てはめれば新人部門にノミネートされるはずはなかったのですが、なんとその事実がわかったのがノミネートされたあと。滾石唱片側もそのアルバムは大陸レーベルが勝手に出したものだと食い下がりましたが主催者側との見解の溝は埋まらず、結局彼女は新人資格を失ってしまい、双方に後味の悪い『傷』を残す結果となってしまったのでした。

金曲獎が終わった直後の6月28日、2ndアルバムからリリースされた第1弾シングル『傷不起』は、このトラブルを連想させる意味深な題名とも相まって大きな話題となりましたが、録音自体は金曲獎前に終わっており、郁可唯も単なる偶然の一致だと笑って話していたようです。うん、彼女は傷ついてない。それどころかこの2ndアルバムは、今年の最優秀アルバム賞、最優秀女性シンガー賞を狙える作品に仕上がっていると思います。

 

ところで生年を伏せていましたね。じつは2009年の『快楽女声』出場中にちょっとした騒ぎがありました。あるブログに郁可唯が年齢を詐称しているとの書き込みがされ、彼女が謝罪する事態となったのです。放送中のテロップには23歳と表示されていましたが、実際は1983年10月生まれで、当時は25歳だったようです。現在はオフィシャルのプロフィールとして公表されていますが、今の彼女にとってはこれも単なる過去のエピソードの1つ、笑い話として語れるほど大きなアーティストとなっています。

 

1stアルバム『藍短褲』から、OPナンバー『藍短褲(童年版)』とEDナンバー『藍短褲(天使版)』をどうぞ。


Unofficial

 

1stアルバム『藍短褲』のタイトル曲『藍短褲』には1曲目の『童年版』と、最後11曲目の『天使版』の2種類があります。じつはこの2曲、もともと8分を超える1つの作品として作られました。それを2つに分けたのですね。アルバムコンセプトとして子供から大人へと成長していく姿を描いているので、まず最初に子供っぽいナンバーが置かれています。いきなりですから聴くほうはビックリしますが、どうです、見事にマッチした歌い方でしょう?最後の『天使版』と続けて聴けば、さらに深い曲となるでしょう。

このように曲の持つ雰囲気を的確に演じ分けることが出来るアーティスト、それが郁可唯なのです。

 

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第22屆金曲獎・最優秀新人賞 -ノミネート編-(2011年6月10日)

 

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脚注

*1:大陸版のリリースはその半年前の同年5月。

*2:同じく挿入歌となった『指望』と『暖心』は、1stアルバム『藍短褲』に収録。

*3:限定特典として彼女の写真入り3way手帳『小資女孩幸福手帳』が付いている。

*4:李宇春は本選も勝ち進みダントツの票数を得て見事優勝、同年デビューを飾っている。