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楊宗緯、3月29日にニューアルバムをリリース!

楊宗緯Aska Yang『初.愛』(2013)

Aska3rd

 

2008年に1stアルバム『鴿子』でデビュー。他を圧倒するソウルフルな歌唱が人気の男性シンガー・楊宗緯(ヤンゾンウェイ)の新作、3rdアルバム『初.愛』がついにリリースされます!
2nd『原色』からは1年7ヶ月ぶり。予約受付は3月14日から27日まで。特典は『楊宗緯 城市光影 限量明信片套組』(ポストカードセット)です。

楽曲情報はまだほとんど出ていませんが、告知を見ると前作に続いて百万製作人・李宗盛が参加しているほか、蘇打綠の吳青峰、韋禮安、嚴爵、伍家輝、易桀齊など、かなり期待をさせるメンツの名前が並んでいます。またまたこれは聴かせるアルバムになっているっぽいですよ~。

 

楊宗緯作詞、首波主打『其實都沒有』。

 

アスカは林宥嘉Yoga Linや蕭敬騰Jam Hsiao、潘裕文PeterPanらと同じく人気オーディション番組『超級星光大道』第1シーズン(2007年)の出身ですが、スポットライトを浴び続けてきた彼らとは少々異なる歌手人生を歩んでいます。番組では圧倒的な歌唱力で勝ち進み人気者となりましたが、決勝目前で年齢を23歳と偽って出場していたことが発覚。涙の謝罪会見を行なったのち自ら舞台を降りました(番組出場資格は25歳迄、アスカは当時28歳だった)。その後、彼の才能を高く買っていた番組主催レーベル・華研HIMとの間で一旦は契約がまとまったものの、今度は台湾裏社会の大物や悪徳ブローカーらが絡む大きな契約トラブルに巻き込まれてしまい、音楽活動を凍結させられるなどデビュー後2年以上に渡って不遇の時を過ごしています。[*1]

2010年、全てのトラブルが解消されたアスカは本格的に音楽活動を再開します。台湾芸能界に大きな影響力を持つ女帝・葛福鴻(グーフーホン)の仲介で、李宗盛プロデュースによるニューアルバムの製作が決定。2011年8月、2ndアルバム『原色』をリリースし復活を果たしました。

ただ、この作品は市場で高く評価されたにもかかわらず、なぜか金曲獎ではまるで皆何かの影に怯えたかのように、ほとんどの部門で無視をされました。そのことについては当時彼のファンだけでなく、一般のリスナーやマスメディア、そして同僚アーティストたちからも疑問の声が数多く出ています。

 

今度こそ、全ての呪縛から解き放たれる1枚となりますように。

 

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楊宗緯國際後援會 - Website

 

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脚注

*1:アスカが兵役時、懇意にしていた同僚がじつは台湾マフィア・中聯集團の大物・張忠信の息子の一人で、兵役終了後も一時その息子の世話になっていた時期があった。彼の素性についてアスカ自身はよく知らなかったが、かねてより音楽市場に手を伸ばしたかった張忠信はそこにつけ込み、業界に詳しいブローカー・許安進と組んでHIMにアスカの譲渡を迫った。結局、HIMはアスカを手放さざるを得なくなり、またアスカの家族も許安進が出したおいしい条件と引き換えに本人の了承なしに契約を結んでしまう。その後、張忠信が複数の罪で警察に逮捕され懲役刑となったことで契約争議は一時沈静化、アスカは2008年1月に華納音樂Warner Musicから1stアルバム『鴿子』をリリースすることが出来た。ところが、このアルバムが大ヒットしたことで契約権を主張する許安進との間で再び争議が紛糾し、アスカは長期に渡って音楽活動を凍結されてしまう。2009年2月、アスカは弁護士を立てて訴訟を起こし、芸能活動凍結は事実上無効に。翌2010年1月、すべての訴訟が結審し、アスカは晴れて本当の意味での自由の身となった。