sasanoji電台【台湾ポップス専門】

こちらはsasanoji電台第1廣播、TW-POP専門チャンネルです。

客家人、聖代と曾雅君。

聖代Sundae『Butterf Life』(2011)
曾雅君Yachun Asta Tzeng『首張客語創作專輯』(2010)

Sundae2011a Yachun-asta-tzeng2010

 

聖代Sundaeこと謝宣圻と曾雅君Asta Tzeng、2人は共に台湾客家の出身です。ホーロー人に次ぐ第2のエスニックグループである客家ですが、最近は若年層に於ける客家語離れが深刻で、客家文化の維持、伝承対策が急務となっています。彼らはその客家語で歌う、民族期待の若手アーティストです。

 

謝宣圻の1stアルバム『Butterf Life』のOPナンバー、曾雅君とのデュエットで『Someday Morning』。

 

台湾客家は17世紀から19世紀にかけて、主に広東や福建から渡って来ました。出自となる地方それぞれに方言があり、台湾でも同じ方言を使う者同士が集まってコミュニティを形成しています。
謝宣圻(チャチェンキー⇐客家語だとこんな感じ^^;)の故郷・桃園新屋は、広東省海豊県・陸豊県辺りに祖籍を持つ客家が多く暮らしている場所で、彼はその地方の方言『海陸腔』を使っています。客家語のヒップホップアーティストはC-POP界でもかなり珍しい存在です。

謝宣圻は19歳のときにインディーズで活動を始めていますが、客家語の歌を作るようになったのは22歳になってからだそうです。それまでは今どきの、ふつうの客家の若者だった…ということなのでしょう。初めて作った曲のタイトルは『學客家』(客家語を学ぶ)でした。彼は客家語の歌を作るとき、まず標準中国語(華語)で詞を書き、それから客家語に直すという作業を行なっているらしいのですが、翻訳が難しい言葉の場合はおじいさんやおばあさんに尋ねるなど、いつも年長者の指導を受けながら創作しているそうです。

2006年頃から創作音楽コンテストで頭角を現し始め、昨年1stアルバム『Butterf Life』をインディーズでリリース。この作品は今年の第23屆金曲獎で最佳客語專輯獎にノミネートされ、大きな注目を集めました。現在彼は客家専門TV局『客家電視台』の子供番組『奧林P客』のお兄さん『宣圻哥哥』としても活躍しています。

ちなみにニックネームとなっている“聖代Sundae”は、デザートのサンデーのような白・黒・赤のシンプルな配色が好みであること、そして彼がスイーツ大好き人間であることに由来しているそうです。その名のとおり、『Butterf Life』は飛び跳ねるような客家語の調子とも相まって、甘くて可愛らしい作品に仕上がっていますね。

 

曾雅君(ツェンアーギュイン⇐客家語だとこんな感じ^^;)は12歳で楽曲を創作し始め、これまでに数多くのコンテストで入賞している本格派の客家シンガーソングライターです。出身は新竹北埔ということですので、方言は謝宣圻と同じ『海陸腔』ではないかと思うのですが、どうでしょう^^;。

彼女は2010年にリリースした『首張客語創作專輯』で、第21屆金曲獎に於いて最佳客語專輯獎、最佳專輯製作人獎、最佳客語歌手獎の3部門にノミネートされ、見事、最佳客語專輯獎を受賞しています。

僕は華語作品以外はほとんどノーチェックで、この2人の存在はまったく知りませんでした。謝宣圻の『Butterf Life』は、金曲獎ノミネート後に再販されたので入手出来たのですが、曾雅君のほうが見つかりません。YesAsiaには取り寄せ商品としてラインナップされていますが、在庫あるのでしょうか…。

 

台湾のグラミー賞こと金曲獎は、使用言語によって大きく4つの部門に分けられます。

標準中国語作品を対象とした『國語』部門、台湾語作品を対象とした『台語』部門、原住民族語作品を対象とした『原住民語』部門、そして、客家語作品を対象とした『客語』部門です。

このブログではこれまで標準中国語(華語)作品を中心にピックアップしてきました。台湾語、原住民語はごく僅か、客家語はゼロです。金曲獎をチェックするときも、そこは敢えてスルー(見ないように)しました。華語作品以外ほとんど聴いたことがないというのも理由の1つですが、台湾語、原住民語、客家語のアーティストを調べようとすると、どうしても台湾の複雑な歴史に触れざるを得なくなる、避けて通るわけにはいかなくなると思ったからです。

今回そこに手を出してしまいました…。
もう、しょうがない…^^;。

 

どこから取り掛かりましょうか…。

ではまず、外省人と、本省人から。

これは台湾に住む民族の帰属を表す言葉です。外省人とは、大東亜戦争で日本が敗れ、植民統治が終了した1945年以降に大陸から移住してきた中国人のこと。本省人は、それ以前から住んでいる台湾人のことです。以前から…ということであれば、当然、原住民族の人々こそが本省人と呼ばれて然るべきですが、実際には除外されています。では誰がそこに当てはまるのかというと、ホーロー(福佬,河洛)人客家(ハッカ)人、主に17世紀から19世紀にかけて大陸から移住してきた人々です。

人口構成比率は、台湾人2300万人余のうち、ホーロー人が67.5%、客家人が13.6%、外省人が7.1%、原住民が1.8%となっています(行政院客家委員會2010-2011年調べ)。つまり、全人口の88%を、大陸由来の民族が占めているというわけです(原住民との混血を含む)。

※キーワード 外省人本省人ホーロー人台湾客家人台湾原住民

 

民族が違えば、当然母語も異なります。それを理解するには各民族の出自から辿っていくのがいいでしょう。

まず最初は、台湾の公用語について。

台湾の公用語は、大陸北方方言である北京語をベースとした國語(標準中国語)です。華語、あるいは俗に北京語とも呼ばれています。日本でいうところの標準語と東京弁のような関係ですね。中国大陸の公用語普通話と同じものですが、台湾では異なる民族交流、歴史を経てきたため、語彙等に独自の変化が見られます。

國語という名称は、1912年、孫文らが南京に中華民国を樹立(清朝滅亡)した時代に採用されました。1945年、日本から台湾行政を引き継いだ中華民国政府(中国国民党)は、國語を共通語とする統治を開始します。1949年、中国共産党との内戦に敗れた中国国民党は政府を台湾に移し、言論弾圧、國語の絶対化をさらに強めていきました。

台湾では1948年に戒厳令が敷かれましたが、それが解除されたのは1987年のこと。じつに40年近くに渡って恐怖政治が行なわれていたのです。しかも言論の自由が認められ民主化が実現したのは、中華民国憲法が初めて改正された1991年以降、つい最近の話です。今の自由な台湾の様子からは想像も出来ませんよね。

戒厳令が敷かれるキッカケとなったのは、1947年2月28日に起こった官民の流血衝突事件、二・二八事件です。統治者が日本から国民党に代わって2年。彼らの横暴、腐敗ぶりのあまりの酷さに怒りを爆発させた本省人による反政府暴動が全国で発生。国民党軍はこれを武力でもって徹底的に鎮圧し、日本統治時代に教育を受けた多くの本省人を逮捕・投獄、そして殺害しました。犠牲者の数は未だ調査中ですが、行政院が公表した調査報告によると、事件が収束した同年5月までの死者・行方不明者の数は1万8000人~2万8000人にのぼると推定されています。
この事件によって外省人本省人との間には埋めがたいほどの深い溝が生まれ、対立は今も残ったままです。

※キーワード 北京語國語中華民国中国国民党二・二八事件

 

次は台湾語(台語)です。

共通語である國語を除けば、台湾語は最も話者数の多いエスニック言語で、閩南(ビンナン,ミンナン)語ホーロー(福佬,河洛)語の名称でも呼ばれています。
地域によって方言差はありますが、全台湾人の73%(2008年調べ)が日常会話で使用しています。最近では台湾のアイデンティティを強調する意味も込めて公式の場で使う国民党の政治家が増えているほか、母語並みに操る外省人の二世、三世も現れ始めています。

台湾語のルーツは、中国大陸福建省南部で話される閩(びん)南語にあります。福建地方を指す『閩』の名称は、中国最古の百科全書である『山海経』(せんがいきょう,紀元前3世紀頃?)の『海内南経・十巻』で確認されていますが、由来については未だハッキリしていません。山また山の福建の地には蛇や虫の類がたくさんいたから、という説もあるようです。
事実、福建は平地が極端に少なく、ほとんどが山岳地帯でした。世界中でコミュニティを形成する華僑には福建出身者が数多くいますが、昔から移民が盛んだったのにはそういった外へ出て行かざるを得ない事情もあったのです。

台湾語は、鄭成功がオランダ人を駆逐した17世紀以降大量に移住してきた閩南人の言語をベースに、原住民語、そして日本語の語彙を加えながら独自進化していきました。名称は台湾語以外にも民族のイデオロギーや解釈の違いから複数存在しますが、みな同じものです。大陸寄りの解釈をする人たちは福建省の言語だとして『閩南語』、あるいは『福建語』と呼びますし、台湾は中国ではないとする人たちは『ホーロー(福佬,河洛)語』と呼んだりもします。『ホーロー』は、閩南人の祖先が古代中国中原・河洛から出たという話に由来するもので、閩南の人々は『福佬(ホーロー)人』とも称されています。しかしながらこの『ホーロー語』という名称も、外省人客家人、原住民族の人々にしてみれば福佬人中心主義と考えられることから、反発も少なくないようです。

※キーワード 台湾語閩南語ホーロー語

 

最後は客家語(客語)です。

客家語は、古代中国・中原を発祥とする漢民族の末裔『客家人』の言語です。台湾客家人の出自は主に広東と福建で、出身地方によって方言差があります。

清代に移住してきた客家人の主な方言は、
広東省梅県・興寧県・鎮平県・平遠県など四県の出身者が使う『四縣腔』、
広東省海豊県・陸豊県の出身者が使う『海陸腔』、
広東省大埔県の出身者が使う『大埔腔』、
広東省饒平県・恵来県・普寧県・揭陽県・海陽県・潮陽県の出身者が使う『饒平腔』、
福建省詔安県・南靖県・平和県・雲霄県の出身者が使う『詔安腔』の5つで、合わせて客家語五大聲腔『四海大平安』と呼ばれています。

そのほか少数が使用している方言がいくつかあって、以前は『永定腔』(福建省永定県・上杭県・武平県)と『長樂腔』(広東省長楽県・永安県)を加えて七大聲腔『四海永樂大平安』と呼んでいました。

話者数は300万人余で人口比率とほぼ一致しますが、國語や閩南語へのシフトがかなり進んでいます。とくに若年層の客家語離れが深刻で、家庭内では世代が下がるほど客家語の使用頻度が減少傾向にあります。行政院客家委員会が2004年に行なった客家語使用状況調査によると、13歳以下で『流暢に話せる』のは僅か1割ほどで、『聞き取れるが話せない』は3割、『まったくわからない』が1割という結果が出ています。
幼稚園や小・中学校で客家文化継承を目的とした授業を行なったり、2003年に客家専門TV局『客家電視台』をスタートさせるなど様々な対策を施してはいるものの、実際都会に出れば閩南語が主流であるため根本的な解決には程遠いというのが現状のようです。

客家人は古代中国・中原を発祥とする漢民族の末裔とされています。古来、戦乱から逃れるため移動と定住を繰り返し、現地住民との争いが絶えなかったことから、よそ者を意味する『客家』の名で呼ばれました。主な居住地は江西、福建、広東、四川、湖南など大陸南部の山間部で、福建に南下した一族が防衛も兼ねて建築した円形、あるいは四角形の集合住宅『福建土楼』はユネスコ世界遺産に登録されています。また、移動民族である客家は福建人や広東人と同様、華僑に占める割合が多いことでも知られています。

台湾客家出身の有名人としては、今年1月の総統選挙で馬英九氏に敗れた民進党蔡英文女史が閩南人とのハーフで、祖母は原住民族・排灣パイワン族の出身です。ちなみに馬英九氏の祖籍は湖南客家です。

歌手では、羅大佑、江美琪、林曉培、黃小禎、彭佳慧、S.H.EのEllaとHebeらが客家の出身。王心凌外省人とのハーフです。

※キーワード 台湾客家語福建土楼

 

この3つの言語のほかに、各原住民族の言語が存在します。

 

台湾歴史
史前時期(1624以前)
荷西殖民時期(1624–1662)
明鄭時期(1662–1683)
清治時期(1683–1895)
台灣民主國(1895)
日治時期(1895–1945)
中華民國時期(1945迄今)