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心休まる場所ならどこだって第二の家、謝安琪。

謝安琪Kay Tse『第二個家』(2010)

Kay-tse2010

 

1977年生まれ。香港の人気女性シンガー・謝安琪(シェアンチー)の8thアルバムです。このアルバムは2010年11月5日、香港、マカオ、中国大陸よりも5日早く、先に台湾でリリースされました。それまで7枚の広東語アルバムを出していますが、この『第二個家』は彼女にとって初めての標準中国語(華語)作品となります。楽曲は彼女を見出した恩人・周博賢や、同期デビューで交流も深いソウルシンガー・方大同ら香港勢、徐子崴&徐子淳の大陸コンビのほか、新進女性シンガーソングライター・徐佳瑩、人気グループ・蘇打緑のボーカル・呉青峰、男女2人組ユニット・深白色など台湾アーティストたちからも提供を受けており、台湾マーケットを強く意識した仕様となっています。家庭であれ、あるいは仕事であれ、今を生きる女性たちのリアルな心情を描いた全10曲を収録。

 

YouTubeではアクセス数が100万回を超えたOPナンバー『脆弱』。作曲は方大同。

耳に優しい歌声ですね。聴いていて濁った感じがまったくしない、シンガーとしての素地の良さが素直に表出している印象です。シンガポール出身の歌姫・孫燕姿の歌声に似ているという話もありますが、どうでしょう…、う~んあまり似てないかなぁ…^^;。

 

謝安琪は音楽好きの家族の中で育ちました。外国の歌が大好きなお母さんと叔母さん、叔父さんも日本の研究をしていたので、それら外の音楽に触れる機会には恵まれていました。ピアノは6歳から学んでいて、2005年に大学を卒業しますが、その間一時ピアノ講師や英語の代理教員をしていたこともあったようです。
デビューのキッカケは彼女がまだ大学生だった頃、大学主催の歌唱コンテストに出場し孫燕姿の『相信』を歌ったのですが、これがそのとき審査員を務めていた香港の大物プロデューサー・周博賢の耳に留まり、香港レーベル・Ban Ban Musicと契約。大学在学中だった2005年1月にシングル『姿色份子』、同年5月に1stアルバム『Kay One』をリリースしました。当時はまだマスコミにも知られておらず、全く無名の謝安琪でしたが、地元香港の若者を対象としたFM局に注目され、このアルバムから6曲がチャートイン。優れた新人として高く評価をされました。この2005年はとくに傑出した新人が多く現れた年で、謝安琪のほかにも彼女の中学時代の幼なじみで現在旦那さんでもある張繼聰や、公私共に親交が深い王菀之、本作に楽曲を提供している方大同らも彼女の同期です。

 

9曲目『蘭花指』は、現代中国一の男旦(女形)・李玉剛との、まさに奇跡のような時間が紡ぎ出されたデュエット。YouTubeのコメントには『典雅柔美,超越時間…』とありましたが、本当にこれは『名曲』というより『名品』と呼びたいMVです。3分48秒が一瞬に過ぎてゆきます。

この歌の作詞は徐子淳、作曲は徐子崴。お二方とも大陸の若手アーティストで、YouTubeにはこのコンビの曲がたくさんUPされています。やはり大陸的な雰囲気で聴かせるものが多いですね。曲名になっている『蘭花指』とは京劇の所作の1つで、女性のしなやかで美しい姿を表現する指先の形のこと。蘭の花の形に似ているので、中国語ではそう呼ばれているそうです。

 

さて、2006年6月には2ndアルバム『Ksus2』をリリースし、順調な歌手人生を歩んでいた謝安琪。ところが同年11月27日、『未婚の母事件』が発生します^^;。お相手はもちろん幼なじみの張繼聰~。2007年1月、3rdアルバム『The First Day』リリース後に2人は結婚式を挙げ、そのまま彼女は出産休暇へ。半年後、無事『3,856克重的巨型男嬰』が誕生、休養を終えた謝安琪は、同年12月に新曲+ベスト集『3/8』をリリース。その後もコンスタントにヒット作を連発し続け、2010年にはNGO国際青年会議所の香港支部が毎年発表している香港十大傑出青年の1人に選ばれています。

 

3曲目収録の『再見』は、蘇打緑・青峰の作曲。

 

今まで母語である広東語にこだわってきた彼女が初めての國語アルバムのタイトルを『第二個家』としたのには、デビュー以来の自身の心境の変化もあったそう。心休まる場所さえ探し出せば、世界中どこにいても家にいるのと同じ。常に芸能人を困らせようとワザと敏感な話題を出したりする香港のマスコミに対しても、今はもうそんなにプレッシャーを感じなくなった、と語っているそうです^^。